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先ほどの、「歩いたら本当に大変」な階段を登ること、ものの1分とか2分とか…
白虎隊のお墓の前は、神社の境内のような開けた空間があるんですが、
何だか色んな物が建っていました。
まず目に付くのが、これ。
ローマ市から昭和3年に贈られた碑。
ポンペイの遺跡から発掘された赤花崗岩の宮殿の柱だったもので作られている。
碑文の写し
「文明の母たるローマは、白虎隊勇士の遺烈に、普及の敬意を捧げんがため、
古代ローマの権威を表すファシスタ党章の鉞(まさかり)を飾り、
永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る。 武士道の精神に捧ぐ。」
武士道、何かきな臭いことになってきてますが。。
帰ってから昭和3年を調べたら、満州で張作霖事件(関東軍が列車を爆発したというあれです)があった年でした。
この碑文、戦後GHQによって削り取られたらしい。…まあそりゃそうだ。。ファシスタ党だもんね
このローマ碑の反対側には、こんなものも。
ドイツの外交官から昭和10年に贈られた石碑。
十字架(カギ十字ではない)と、「会津の若き少年武士に贈る」という献辞が彫られたこれもやはり、戦後碑面が削られたのを、修復したものだそうです。
こんな感じで配されています。
中央が自刃の地へ下りる道筋です。
石灯籠が飾ってあり、それを挟んで左がローマ碑、右がドイツ碑。
幕末を体感するつもりが、気のせいなのか、全く別の時代の方が存在感が強烈です。
こんなに目に見えて三国同盟がある場に初めて接したので、その是非どうこう以前に、単純に驚きました。
お墓より目立ってるし、イマイチ主旨が分からない
誉めてくれるなら誰でもいいって訳でもない気がするけれど、、
ともかく興味深い光景です。