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虹色ペリカンが、ダマスカスに出現。
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街では春闘まっさかり、嵐の盛りに出かけて行って見た映画
『チェ 28歳の革命/39歳 別れの手紙』

一気に二本とも見たと言うと、みんな口を揃えて讃えてくれる
実際、結構なボリュームでした。
内容も、長さも。
映画館出たら、誰も傘持ってね~~
傘袋スタンドはともかく、ゴミ箱は撤去してくれるな!
映画館入場前と、後と、天気の点では確かに世界は革命されてたかも

チェ・ゲバラの映画。
と言うよりは、ベニチオ・デル・トロの映画。

デルトロもカッコよかったし、ガエルもカッコよかったが、、
実物のゲバラはもっとカッコいんだぞ~~ォ。
と言う事実を世界中のみんなが知っているからこういう伝記映画は面白い。

映画の作り手のミーハーを共有する事が出来るので、
映画そのものと歴史のお勉強的要素とで、一粒で二度美味しい感があります。

もともと伝記は好きなのです。
本棚の中でお気に入りは、ベーブ・ルースとライト兄弟でした。


ゲバラものでは、
以前に見た『モーターサイクル・ダイアリーズ』が一番のお気に入り。
青春大好きなので。

時系列に沿って並べると、
『モーター~』
『28歳』
『別れの手紙』 ってことですね。
チェ・ゲバラ、カリスマに向けてHop・Step・Jump

勢い余って死んでしまった・・・

今も生きていたらどうなっていただろう。 と思わずにいられない。

おじさんになったチェ。
それから、世界。

どんなふうになっていたんだろう。

誰かが死んで、或いは誰かを殺したから今ある世界と、
誰かが生きて作ろうとしていた世界。
想像も付かないほどの落差です。

確かに、夭折≒ヒーロー みたいなところがあるけれど、
生きてた方がいいに決まってる。
私はそう思います。
少なくとも、本人が死にたかったはずはない。

ゲバラは結局、コロンビアでのゲリラ活動に失敗して、捕えられ処刑されます。
ゲバラの処刑を決めたコロンビア政府に、
軍事支援をしていたアメリカは最後まで反対したそうです。
死ねばゲバラが伝説になり、神格化されるから。

何て当を得た、しかし下らない心配だろう。
死んだ人を、必要以上に美化するのも、こき下ろすのも、
どっちにしろ大馬鹿野郎だと思う。

「やろうとしていたこと」ではなく、「やったこと」だけで評価されたいと思うのが
まともな人間であるはず。
だからこそ、
「やったこと」だけで 「やろうとしていたこと」を見てみたかったと思わせてしまうゲバラは、やっぱりタダモノじゃない。

でも、きっと死ぬ瞬間は怖かったに違いない。
悔しかったに違いない。

今も生きたまんま伝説みたいなカストロがこの世界には実際に居るわけで、
何だかそれも不思議です。
あのヒゲも含めて。

革命って何だろう?
大なり小なり、革命のない歴史の国はなさそうだけど。
そんな 世界のあらゆる国のあらゆる現在で、
革命って何だろう?あの革命って何だったんだろう?
と、私が今こうしてのほほんとしている瞬間にも真剣に考えている人がいるんだろうな。


も分からなくなる、、めまいしてきた・・・


思い出の曲でも引っ張り出して聴こうか。
・・・ ♪真夜中の革命 フライング・キッズ


今日の怪文


 明確な革命。

 ・・・とりあえず、日本には今も昔も未来も存在しなさそうな。。
 

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3月14日、何の日ですか?

ホワイトデーですか?

否。

〇〇君の誕生日ですか?
 (遅ればせながら、おめでとう。⇒花空ママさん)

あ 近い

3月14日。
130年前の3月14日、アインスタイン博士が生まれました。

3.14。 ・・・3.141592 ・ ・ ・  合ってますか?
そう。 πの日です。

π(パイ)、この世界で最も不思議で壮大な記号の一つ。

πの日に生まれたアルベルト。ロマンだと思いませんか

こんな壮大なロマン溢れる日ですから、
本来、お返しだのとモノの受け渡しをするよりも、
思想の受け渡しをこそ、この日には相応しいのだゼ!!

日本のお菓子業界、、あさましいっ。 不潔よっ

と言いつつ、私は日本のお菓子業界にデカイ口を叩けない・・・
だって、アポロをこの世に送り出してくれたんだもの

アポロ・・・チョコと宇宙船だとどっちが私は好きだろう。
ロマン対ロマン。
ウゥ~選べない
 

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定額給付金、くれると決まったのなら、早く欲しい。
何に使うかはもう決まっています。
  → → → 税金。

・・・意味ね~~ェ
足りないし。

政治とか、経済とか、難しい事は分からないけど、
とりあえず1万2千円。
感覚的には大学生協が忘れた頃に返してくれる出資金、
より > 少ない < ということですね。

・・・ケチぃ。。

取って付けたような2枚の意味がわかんねーYO!!

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過日、村上春樹のエルサレム賞での受賞スピーチをニュースで聞きました。

エルサレム賞というのは、イスラエル最高の文学賞で、
自由についてや、政治、思想について扱った作品の評価をしているのだとか。

まさにイスラエル軍によるガザ地区侵攻があった昨日の今日というこの時期だから、
村上春樹にも、受賞の辞退や、授賞式の欠席を求める声が少なくなかったそうです。

そんな状況で授賞式の会場に立った村上春樹は
「自分自身のため、見ないのではなく見ることを、
沈黙ではなく語ることを選んだ」 と話します。

彼は言葉を続け、
人が「卵」なら、卵の前に聳え、阻み、卵が叩きつけられ、
卵を潰してしまう「壁」の存在 について語っていました。

例え「壁」がどんなに正しく、「卵」が間違っていたとしても、
自分は、必ず「卵」の側に立つ。

という話で、
「壁」は体制で、人の生命や自由が「卵」で、
賞の主催国であるイスラエルの軍事行動のことも又「壁」に例えて批判をしていたんだと思います。

受賞を待ってイスラエルの偉い人だかに囲まれて座る、見慣れない村上春樹は
ちょっと内股で、姿勢もあまりよくなくて、別に格好よくないし、
英語の発音も全然格好よくない(筑紫さんみたいな英語)。
でも、話している村上春樹は、
私が今まで見たスピーチをする人の姿で一番カッコよかった。


こういう言葉が
破壊や攻撃ではなく、実りをもたらすのだろうなあと感動しました。

人間の志 というものは、こうして語られるべきなんだろう。

政治家や役者は、
上手に人を煽ったり、押したり引いたり、笑わせたり、
耳に心地の良い喋り方をするけれど、
なかなか本当のことを言ってくれないでしょう?

誰かが本当に信念を以って話すことというのは、
どんなに訥訥としていようと、
聞く人が事情に疎かろうと、伝わるのじゃないだろうか。

このスピーチに私が感動したのは、
レトリックにではなくて、勿論弁舌の爽やかさでもなくて、
一生懸命に訴える村上春樹の姿です。
ニュースの冒頭から見ずに、それが村上春樹だと分からなかったとしても、
多分私は感動したと思うのです。


私も、個人的な大して特別な思想というわけではなく
多くの人が一般的に思うように戦争が厭な一人です。

クリントン時代だと思うのですが(違うかも)、
アメリカとイギリスが合同で「砂漠の狐作戦」という作戦を立て、
突然中東で戦争をおっぱじめた
というニュースの記憶が私の中に鮮明に残っています。

私は、中学か高校の頃で、ある日母とニュースを見ていたら、
突然戦争が始まった。
と、私の目にはそう見えたのです。

何故なのか当時の自分でもさっぱり分からなかったのですが、
何故か、そのニュースに異様な衝撃を受け、
私はうろたえ、混乱し、必死で我慢した末に、堪えきれずに
母に「アメリカなんて大嫌いと」言って、結局わんわん泣いたのです。
人前で、しかも親の前で泣いたことが恥ずかしくて、
作戦名ごと未だにニュースを覚えています。

ニュースの背後関係も分からず私が泣いているのを見た母は、驚いただろうと思います。
ちょっと苦笑いで
「あなたがこれから戦争のない世界にすればいいのよ」
というようなことを言いました。

私は、とりたてて大きな志を持っていない中学生なり、高校生だったので、
ンな無茶な。
と思ったのだろうと思います。

一人じゃ無理。
政治家になる気もない。
傷ついたからと言って、それを跳ね返す勇気も根性もない。

無理。無茶。無謀。不可能。

ああ、でも、
村上春樹は、一人で、政治家でもなく、それをやっている。
人に恥じるような涙のようなもので訴えるのではなく、
堂々と、人に胸を張れるやり方でやっている。

あれは言葉の力だ。
想像力の力だ。
思考の力だ。
人を奮い立たせるけれども、人を傷つけない。

ファンではないけど、
フィッツジェラルドが好きだとかって、受け付けないけど、
内股だけど、猫背だけど、
でも、村上春樹、かっけー!!!


ところで、青春の書は、と問われれば、
すぐにタイトルを思い浮かべる事の出来る本が、私には二冊あります。

宮本輝の『星々の悲しみ』と、
村上春樹の『ノルウェイの森』がその二冊です。

それでも、ファンじゃないの。
人生最高 ではなく、 青春の というところがちょっとミソ。
 

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1週間弱遡りますが、ひょんなめぐり合わせで、
桐朋学園短期大学の卒業公演の『牡丹灯篭』を見ました。

自分が「学び舎」的なものを卒業してから、かれこれ数年が経ちました。
当時の自分なり、自分たちなりを冷静に振り返る事も、
現在の「学生さん」を客観的に眺める事も出来ないなあ。

若さを、「若さ」ではなく「幼さ」と受け止めてしまう自分は、
やっぱりまだ幼いのか、それとも老いたのか、どちらなんだろ?

終演後、会場でばったり再会した恩師と
スラスラ会話が出来てしまった自分は少し何かが世間並みになったような気も・・・

自分の卒業から時間を経た中で、
「何をしたの?」という問いに、
フランスの小説に出てくる子供のように、悟ったような顔をして
「歳を取ったわ」 とでもため息と一緒に呟いてみたらお洒落かな。

※『地下鉄のザジ』 レイモン・クノー著

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