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既に別のお土産を携えていたので、お花はどうしようかと思案した結果、
普段ではなかなかお花を買う機会もないので、やはり。
それに、黄色のバラで飛び切り可愛いのがあったので。
黄色いバラは、母の好きな花です。
毎年、母の日は、黄色のバラに、カーネーションを散らしてもらいます。
それにしても、このバラはとても素敵。
この写真は比較的実際に近い色合いに撮れたもの。
本当は、もっとハッキリした黄色の、
「黄色いバラ」と言って多くの人が思いつくようなものが好きなのじゃないかと思いつつ、
つい自分の目に付いた珍しいものを贈ってしまう…
この世界で一番付き合いの長い間柄でも、プレゼントはやはり難しい。
でも、
母も喜び、私も嬉しい。
お母さんに加え、お花屋さん、有難う
それからもう一つ、個人的に気をつけていること。(実行できているかはともかく)
母の日の、一夜明けた次の日こそ、感謝を忘れないように。
次の日に忘れるようなら、記念日なんてそもそも意味ないと思うのですよ
わがままを言わない。気遣いを忘れない。
外では当たり前のことが、家族相手だと、頭では分かっていてもつい疎かになってしまいます。
でも、家族もやっぱり
無礼を働いてはいけない尊重すべき一個の「他人」なのだと私は思います。
JR只見線、会津若松の次、七日町駅前の阿弥陀寺の一角。
斎藤さんのお墓です。
斎藤さん
斎藤一さん。新撰組の。
ドラマで言うと、左右田一平さん。
素敵なんだ、、これが。
物凄く昔に、多分初めて映像化された『新撰組血風録』です。司馬遼太郎の。
昔過ぎて、白黒です ΣΣ(゜口゜!!)
新撰組自体に思い入れが、というよりは、この白黒の『新撰組血風録』に思い入れが
ドラマの中で、斎藤さん=左右田一平さんは、
島田順司さんの総司と仲良しで、縁先でよく碁を打ってたりします。
この二人の場面は本当にのどかで楽しい。
剣が強くて、子供に弱いという共通項があります。
キュンときちゃうよねーー
伊東甲子太郎の回とか、女の子拾ってくる回とか、大活躍なのですよ。
色々思い出して楽しい気分でいたところ、
別の観光客を案内してきたタクシーの運転手さんが、
「ドラマで言うと、オダギリジョー」
と、説明していました。 ΣΣ(゜口゜!!) NO~~~
・・・大声で無知を罵ってやりたかった。。
放映時に見ててもおかしくない年代の人だったのに。
こちとら、わざわざビデオで見てるのに。 チッ
ちなみに、飯盛山と鶴ヶ城の中間点辺りに、近藤さん(ドラマで言うと、舟橋元)のお墓もあります。
こっちは時間と道筋の関係で寄れず。
ぶっちゃけ、近藤さん < 斎藤さん ? かもね。
ここの近藤勇の墓は、土方歳三(ドラマで言うと、栗塚旭)が建てたそうな。
山の中にあるらしい。
阿弥陀寺の斎藤一のお墓は、本人の希望によるものだそうです。
斎藤さんは、激動の時代の真っ只中を駆け抜けた人には珍しく、大往生です。
幕末を生き延びて維新政府で警官になったのです
ある意味同じ仕事を続けたと言うべきか。そして恐妻家だったらしい
何故か、墓前に明治アポロが二粒供えてあった
もしや・・・甘党情報があったりとか・・・?
飯盛山の目的は、そもそもこちらでした。
白虎隊のお墓のすぐ下辺り。
旧・正宗寺 円通三匝堂(しょうそうじ えんつうさんそうどう)
通称さざえ堂。 重文です。
ぐるぐるしてます。
上から見るとこんな感じ。
ちょうど写真の中央下に出てくる人が見えますが、入口と出口は別です。
この出口は、上の写真に写っている入口の多分真後ろ辺り。(建物は六角形)
別の角度から。
何がどうなっているやら。
やっぱりよく分からない
入口と出口が別で、誰ともすれ違うことなく、
同じところを二度通ることなく、上って下りられる螺旋構造。
? ? ?
上ってみると分かりますが、てっぺんを挟んで、上り用と下り用のはしごが架けてあって、
そのはしごがつまり螺旋階段です。
二つの逆巻き?の螺旋階段が重なっている。
有楽町マリオンの仕掛け時計下の階段みたいな構造かな。
二つの全く別の階段が重なっている。
? ? ?
言葉で説明しようとすると、やっぱりエッシャーの騙し絵について話しているような感じになってしまいます。
入っちゃうのが一番。
入場料、大人400円。
一度入ってみての感想としては、400円はちょっとボッタクリめかも
一度、めまい経験料として、という感じでしょうか。
本来、使われていた宗教施設なので、念仏を唱えながら上って下ってみたいな感じだったのだろうか。
名前が出てこないんだけど、回転する念仏塔かなんかを一周させると、
念仏何回分とかになるっていう仏教装置があったような。
あんな感じのものなのではないかと勝手に推測しています。
眺めるだけならタダです。見てるだけでもわりと面白い。
次、このさざえ堂からちょっと行ったところにある、白虎隊士が引き上げてきた道筋と言う、戸ノ口堰洞穴。
写真奥の黒い穴が、何と猪苗代湖まで続いているそうな
出来上がったのが、江戸末期と書いてありましたが、着工されてから何百年も掛かった水路らしい。
実際、結構というか相当あります。猪苗代湖から、この地点まで。
山を幾つか越えている。
つい、ここでもこの穴を抜けてきた白虎隊士について考えてしまいました。
どうにか戦場を生き延びて、真っ暗な長い狭い道を必死の思いで抜けてきて、
洞穴の出口の光が見えてきたとき、やっと空の下に出たときに
どれだけホッとしただろうかと、
その直後に城が燃えてたんだもんなー…(本当は城は燃えていないんだが!!)
子供はそりゃあパニクるだろうと思います。
いや、大人でも、当時の人はみんな狂信的だし。
お墓やらを見てきた後なので、つい土木的な凄さよりも、白虎隊視点から見てしまうのがちょっと恨めしい。
水が非常に綺麗です。
時代が変わっても水の流れは変わらないのだな
今も使われているのかな?すげー。
さすがに白虎隊士のお墓に向かって、パシャリとするのは自粛しました。
周囲には、同じく戊辰戦争の折に自刃したり、戦死したりした女性の慰霊碑なども。
こういった人たち(勿論白虎隊も)の亡骸は、会津の降伏後、官軍にきつく禁じられ
手を触れることも許されずにしばらくの間野ざらしになっていたそうです
そこまでしなくても…と言うか、反感を買うだけじゃないかと。
以前に会津に来たときに、地元の方が、官軍、ひいてはその後現在まで続いている中央のことをいまだに憎々しげに語るのに驚いたことがあります。
なるほど、この辺りの事情があり、
それを後世にまで伝え続けるだけ、必死な思いだったのに、ということなのかもしれません。
何せ自分が、戦争を知らない子供たちの、その更に子供という平和ボケ世代なので、
愛国心やナショナリズムが破滅に向かってしまう、追い詰められた状況はやはり理解できません。
もしこの飯盛山から見た炎が、本当に城を焼く火だったとしても、
生き延びて会津魂?なり、大和魂?を伝えていくという選択肢は、どうにかなかったものかなあ、とどうしても思ってしまいます。
城がなくなっても、「人は石垣、人は城」とか何とかって言うし。 (文脈が違うか。。)
一人一人の人生が活気に満ちてこその国だと思うんだけど。
時代がそれを許してくれなかったのは分かるけれど、
「それでも地球は回っている」的な気持ちの切り替えが出来なかったものか・・・ムリだよね~
いい言葉じゃん、「それでも」
親御さんがキリスト教徒の友人が、以前に話していたことを思い出します。
自分がキリシタン弾圧が行われていた当時のキリシタンだったら、
絶対転んどく!!
で、内心「それでも」って思っておけばいいじゃん。
これも、当時の感覚ではムリは承知の会話です。勿論。
簡単に「それでも」と言って自分を守れる時代に生まれた事は、やはり大きな幸運のようです。
何が本当の悲劇って、
死んでしまったことよりも、死ななくていいのに死んでしまった状況よりも、
今でいう高校生になるやならずの年齢の子達が
「自殺はいけない」ではなく、
「生き恥をさらすなら自害して果てろ」と叩き込まれてしまった
状況と言うか、時代と言うか、そっちの方がよっぽど悲劇の元凶だよなあ。
武士道ってカッコよさげだし、個人的に時代劇とか大好きだけど、
いざ、その場で色々見てしまうと、なんだかなァ…
カッコイイだけでは済ませられないものを感じます。
一方で、わざわざ「自殺はいけない」という講釈が必要な、
ホイホイ死んでしまう現代人も悲劇的っちゃ悲劇的かも知れません。