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久々に浅草へ。
日曜日だったので、かなりの人出です。
久々だったので忘れていましたが、そういえば今は本堂が改修中でした。
↓
ボランティアガイドのようなおじさんがいて、辺りの帽子を被った人に、
「お参りする時だけでいいから帽子取ってね」
と声をかけていました。
(へー、だけでいいんだ…)
しかし、さらにおじさん、「帽子を取ってね、でないと不幸になるから」
…ちょっと待って、それって恫喝じゃね?
もっと角の立たない、というか柔らかな言い方だと、効き目薄で駄目なんだろうか。
とりあえず、下手に出てるのか、上から目線なのかハッキリさせてもらった方が耳を傾けやすいんだけど。
なかなか素敵な気分になったので(※皮肉)、勿論お参りはせずに境内を後にしました。
宗教に 《さもなきゃ》 って言い出されるのはちょっと怖いな。
さまなきゃ、不幸とか罰(バチ)とか言われたら、一生縛られる気がします。
それって言葉の暴力のように思える…
信心や敬う心って、自分の幸・不幸を取り引きするものじゃないじゃん。
きちんと理由を説明して、紳士的に対応してほしいな。
帽子を取る=敬意を表す
ってことぐらい、お寺や神社にはキャッチボールのためにしか来ない野球少年でも知ってるよ
日本語の会話では、よく理由を無視して結果だけが重視されているのを見かけます。
「なぜならば」って、ちょっといびつだけど、もっとちゃんと知りたいと思っている人は多いのじゃないかと思います。
結果だけを投げつけられるとカチンと来ることも、理由をちゃんと知れば、角も立たないと思うんだよね。