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桜島が活発な動きを見せているそうです
「桜島が爆発的な噴火をした」・・・ニュース解説より。
それを見ていた家族が一言。
「爆発的な噴火 って、何だソレ!?」
「もう爆発してんだから、爆発的ってヘンだろう」
キレる程の事ではないが、
・・・確かに
活火山だから、敢えてなのかもしれないけれども、
馬から落馬し足の骨を骨折し救急車に乗車して、病院に入院
的なニオイがぷんぷんします。
気象用語には不案内なので、正確なことはなんとも言えませんが、なかなか面白い。
ところで、鹿児島出身者から聞いた話によると、
鹿児島市なのか県なのかでは、毎日天気予報の中で
「噴煙情報」(名称は正確ではありません)が報じられるのだそうです
今日は灰が多いとか、少ないとか。
東京に来て何より驚いたのは、天気予報で火山灰の情報が出ないことだったとか。
地元の人には、当然“桜島がある世界”が日常なのでしょうが、
火山灰が、紫外線や花粉と同じレベルで語られているなんて、
天気のいい日に遠くにやっと富士山、
或いは爆発するのはせいぜい鍋くらいが関の山
程度の東京モンからすると、かなりロマンを覚えます。
そんな話をされると放浪の虫が疼きだすじゃないか。(?)
嗚呼、旅に出たい旅に出たい旅に出たい
麦の義務。 (※ワーニャさん投稿)
そのこころは・・・
解釈其の壱 ; 発酵して人々の憂さを晴らす (過剰摂取にご注意)
解釈其の弐 ; 風が吹けば桶屋が儲かる 的な話ですが、
麦→パンになる。→ジャンバルジャンを誘惑する。→ジャンバルジャン捕まる。
→ジャンバルジャン脱獄する。→色々あって改心する。
回りくどいよ。かえって残酷だよ。いっそ一思いに殺ってやれよ。
それが故に、嗚呼、無情。
と言うわけで、桶屋にやっと辿り着きました。
麦 → 動乱期にあって、娘を一人幸福にする
黄麦と文字を並べてみたら、
ちょっと字面が、黄泉みたいで自分で一瞬ビビってしまった コワっっ
こんな機会もないと、「黄泉」なんて言葉は実際に使うことはないので、
いい経験させてもらいました。
麦よ、有難う。
・・・お
「麦の義務」 解釈其の参 ; 私に珍しい言葉を使う機会を与えてくれる。
麦ってば、あの華奢な身体で数々の義務を果たしてて、キュンときちゃう
エライぜ、小さな巨人。
ところで、麦、と言えば 樹なつみの『OZ』だよね。
あまり漫画は読まないのですが、友達から押し付けられて読んだこの作品のラストは、
いまも 思い出しただけでグッときます。
過日、村上春樹のエルサレム賞での受賞スピーチをニュースで聞きました。
エルサレム賞というのは、イスラエル最高の文学賞で、
自由についてや、政治、思想について扱った作品の評価をしているのだとか。
まさにイスラエル軍によるガザ地区侵攻があった昨日の今日というこの時期だから、
村上春樹にも、受賞の辞退や、授賞式の欠席を求める声が少なくなかったそうです。
そんな状況で授賞式の会場に立った村上春樹は
「自分自身のため、見ないのではなく見ることを、
沈黙ではなく語ることを選んだ」 と話します。
彼は言葉を続け、
人が「卵」なら、卵の前に聳え、阻み、卵が叩きつけられ、
卵を潰してしまう「壁」の存在 について語っていました。
例え「壁」がどんなに正しく、「卵」が間違っていたとしても、
自分は、必ず「卵」の側に立つ。
という話で、
「壁」は体制で、人の生命や自由が「卵」で、
賞の主催国であるイスラエルの軍事行動のことも又「壁」に例えて批判をしていたんだと思います。
受賞を待ってイスラエルの偉い人だかに囲まれて座る、見慣れない村上春樹は
ちょっと内股で、姿勢もあまりよくなくて、別に格好よくないし、
英語の発音も全然格好よくない(筑紫さんみたいな英語)。
でも、話している村上春樹は、
私が今まで見たスピーチをする人の姿で一番カッコよかった。
こういう言葉が
破壊や攻撃ではなく、実りをもたらすのだろうなあと感動しました。
人間の志 というものは、こうして語られるべきなんだろう。
政治家や役者は、
上手に人を煽ったり、押したり引いたり、笑わせたり、
耳に心地の良い喋り方をするけれど、
なかなか本当のことを言ってくれないでしょう?
誰かが本当に信念を以って話すことというのは、
どんなに訥訥としていようと、
聞く人が事情に疎かろうと、伝わるのじゃないだろうか。
このスピーチに私が感動したのは、
レトリックにではなくて、勿論弁舌の爽やかさでもなくて、
一生懸命に訴える村上春樹の姿です。
ニュースの冒頭から見ずに、それが村上春樹だと分からなかったとしても、
多分私は感動したと思うのです。
私も、個人的な大して特別な思想というわけではなく
多くの人が一般的に思うように戦争が厭な一人です。
クリントン時代だと思うのですが(違うかも)、
アメリカとイギリスが合同で「砂漠の狐作戦」という作戦を立て、
突然中東で戦争をおっぱじめた
というニュースの記憶が私の中に鮮明に残っています。
私は、中学か高校の頃で、ある日母とニュースを見ていたら、
突然戦争が始まった。
と、私の目にはそう見えたのです。
何故なのか当時の自分でもさっぱり分からなかったのですが、
何故か、そのニュースに異様な衝撃を受け、
私はうろたえ、混乱し、必死で我慢した末に、堪えきれずに
母に「アメリカなんて大嫌いと」言って、結局わんわん泣いたのです。
人前で、しかも親の前で泣いたことが恥ずかしくて、
作戦名ごと未だにニュースを覚えています。
ニュースの背後関係も分からず私が泣いているのを見た母は、驚いただろうと思います。
ちょっと苦笑いで
「あなたがこれから戦争のない世界にすればいいのよ」
というようなことを言いました。
私は、とりたてて大きな志を持っていない中学生なり、高校生だったので、
ンな無茶な。
と思ったのだろうと思います。
一人じゃ無理。
政治家になる気もない。
傷ついたからと言って、それを跳ね返す勇気も根性もない。
無理。無茶。無謀。不可能。
ああ、でも、
村上春樹は、一人で、政治家でもなく、それをやっている。
人に恥じるような涙のようなもので訴えるのではなく、
堂々と、人に胸を張れるやり方でやっている。
あれは言葉の力だ。
想像力の力だ。
思考の力だ。
人を奮い立たせるけれども、人を傷つけない。
ファンではないけど、
フィッツジェラルドが好きだとかって、受け付けないけど、
内股だけど、猫背だけど、
でも、村上春樹、かっけー!!!
ところで、青春の書は、と問われれば、
すぐにタイトルを思い浮かべる事の出来る本が、私には二冊あります。
宮本輝の『星々の悲しみ』と、
村上春樹の『ノルウェイの森』がその二冊です。
それでも、ファンじゃないの。
人生最高 ではなく、 青春の というところがちょっとミソ。